悪い人っていないのかもしれない。利害が一致しないだけ。
私は、あるタイミングまでずっと”いい子ちゃん”で生きてきて、
(何も考えずに生きてきて)
親が言うところの、
健康なのに仕事をしないなんて甘えてる!
とか、
不登校になるなんてだめ、無理矢理にでも学校に行かせないと!
とか、
ギャンブルにお金を費やすなんて、馬鹿げてる!
とか、
偉い人はずるいことをしてお金を稼いでてずるい!
など、
上記のことで誰に迷惑をかけられたわけでもないのに、(3つ目は間接的にかけられたかな、、未だにそう思っているということは。)べきべき論で世の中をジャッジしていました。
実際に社会に出て、
自分が仕事で疲れ果てて目的を見失ったり、
学校教育について、生徒の個性によっては悪い影響を及ぼす面が見れるようになったり、
ギャンブルしてても真っ当に有意義に人生を築いている人に出会ったり、
(私みたいに、他人をジャッジしないで、そんな暇があったら自分の人生生きている人)
偉い人に当たる人の側で仕事をして、その責任・重圧はとんでもないものだと実感し、偉い人は大体において中身も偉いから偉いんだと思ったり、
色々と世の中を自分なりに解釈し始めて、本当に恥ずかしかったです。
(もう30代なのに!!!恥ずかしいすぎる)
自分の意見でもないのに、人をジャッジして本当に感じの悪い人だったと思います。
親の意見は、上記の状況が親自身に害を及ぼすから言ってたんだと理解しました。
むしろ、大切な人がそんな状況になったら、積極的に休んでほしいし、無理はしてほしくない。
一般常識や善悪について、どんな風に息子に伝えたらいいか、悩みます。
間違えると、私みたいに途中まで人への優しさ(許容範囲?)0みたいな人になっちゃうかもしれませんし。
グループに所属する上で、そのグループのルールを守ることは大切です。
また、本質的に悪い人はいなくて、もし、ある人に生まれてその人のように生きたら、様々な意思決定はその人と全く同じ判断になると私は思います。
だから、人をジャッジせず、イベントの利害性?をジャッジして、対応内容なり、ルール作りなりをする必要がある。
そのルールを尊重し、改善したいという自分の思いには正直に生きてほしい。
まずは、現状のルールがどんなものか、体感するために守ってみて、これは変えたい!と思うものは大人になって変えていってほしい。
と伝えようかな。
現時点です。